ペリカンの気分

ブログ名に特に意味はありません。

血天井

こんばんわー!

 

まだまだ、このブログ内容が無いのでもう少しだけ…ガンバリマス!

 

 

 

っていうか…なんで(自己紹介以外の)最初の記事が中島みゆきさんだったんだろうって急に思ってきました…(もちろん好きなんですが大分コアな話題ですよね)

 

 

 

まぁ特に問題はないので………今日はこれについて語ります…それは、、、血天井についてです!!!

 

 

 

血天井とは何ぞや?って人のために簡単に説明しますと…

血天井(ちてんじょう)は、主に日本の戦国時代の武将が戦いで絶命した際の血痕が付いた建物の床板・縁板を、供養などのため天井に張り替えたと言われるもの。

引用:血天井 - Wikipedia

つまり、戦国時代の戦いで付着した血が実際そのまま天井に残っている建物です。

 

もともとは私も知らないものでしたが…京都旅行する際に歴史に詳しい知り合いにおすすめな観光地を聞いたところ教えてもらいました。。。(京都旅行についてはまたいつか書くかも?)

 

京都には8か所?ぐらいあるということでしたが…私が行ったのは、養源院という所でした。

養源院HP:https://yougenin.jp/

養源院の写真

この養源院では、関ケ原の戦いの前哨戦である伏見城の戦いで流れた武士の血がそのまま残っています。

1600年8月26日伏見城を守る東軍(1,800)と関ケ原へ向かう西軍(40,000)で戦いが勃発しました。圧倒的な戦力差があり、すぐに戦いは終わると思われたのですが…西軍側は苦戦し伏見城の攻略に10日以上もの期間をかけたため、その後の関ケ原の戦いに影響を与えたともいわれているみたいです。

 

そんな伏見城の戦いで、東軍側の敗北が決定的になった後、残った東軍側の武士達が伏見城の廊下で自刃したのですが…その時の廊下の板の間をのちに供養のために養源院の天井にそのまま使用したそうです(武士達の遺体は8月から9月中旬まで放置されていたといわれ、その為血がべったり残っているといわれています)。

 

ちょっと説明が長くなってしまいましたね…

 

実際の血天井は撮影が禁止でしたし…そもそも撮影するのも憚れるほどのものでした。

養源院ではガイドさんが解説してくださるのですが…とにかく圧倒されてしまいました。。。

 

400年以上経過しているので、血の色は少しわかりずらいのですが…天井を見渡すと手の跡、足の跡…そして武将の倒れた跡、、、東軍側の武将が倒れていた位置まで解説してもらいました。。。

 

 

戦国時代ではこのようなことが日本全国色々な所であったのだろうなと、、、東軍側が結局天下を取ったからこそ供養してもらえたんだなと考えると…色々複雑な気持ちになります。

 

 

京都観光において有名な観光地というわけではないですし…ちょっと生々しい遺産ではありますが…その分本当に印象に残る場所ですので、興味がある方はぜひ行ってみてください。

 

 

おまけの平等院(10円玉)

 

 

平等院もすっごく良かったのでいつか記事にするかもしれません!

ではノシ